被ばく80年 平和の石 平和祈念式典 常圓寺被爆子育て地蔵尊供養会 

2025年8月6日 カテゴリー:3-イベント タグ:, ,


平和の石

8月6日㈬午前8時10分より、総合庁舎前の中目黒しぜんとなかよし公園において、「平和の石のつどい」が開催されました。

平和の石は、1986年に広島市役所の庁舎が建替えになる際に、庁舎(階段)の一部を広島市から譲り受けたもので、その費用を区職員と区民の募金によって設置されたものです。

平和の石は旧庁舎の横にありましたが、庁舎移転に伴い現在地に移転されました。
それ以降、毎年8月6日に「平和の石のつどい」が開催されています。参加者は、原爆が投下された午前8時15分に合わせ、黙祷を捧げたあと、献花を行い、副区長と目黒区職労執行委員長の挨拶、折り鶴を献納して、終了しました。
この模様は、NHKの昼のニュース(首都圏版)で放映されました。(目黒区職労FBより)

平和祈念式典

午前9時30分より 目黒平和祈念のつどい、目黒区民センターホール。平和都市宣言朗読、黙祷、献花、そして主催者目黒区長挨拶。
青木区長は、戦後80年、世界には1万を超える核爆弾が、ひだんれんのノーベル賞受賞、ウクライナ、ガサにふれ、最後はひろしま被曝、目黒も3割の地域が空襲被害と触れてました。

常圓寺被爆子育て地蔵尊供養会

午前11時より、都立大学駅北口、目黒区民キャンパスへの坂の左側、日蓮宗常圓寺 被爆子育て地蔵尊供養会にお邪魔しました。10数年前に一度参加したことがありますが、八雲中央図書館で勤務中、毎年行きたいと思っていてやっと参加できました。 本堂には、檀家さんなど約20名が参加、読経、住職のお話しと、当日参加されており住職から紹介されて、この被爆地蔵尊に目黒在住の被爆者とともにお参りを始めた、元都立大学組合の小林さんから、広島から目黒に来た経緯や80年の歩みを学びました。

お地蔵さんブログ より(https://jizo-bosatsu.hatenablog.com/entry/hirishima-hibaku-jizoson)

広島被爆子育て地蔵尊は、かつては広島市細工町(現中区大手町)の西蓮寺にお祀りされていた子育て地蔵尊です。
そこは爆心地からわずか100メートル足らずの場所でしたので、投下された原爆の爆風で倒れた塀の下敷きになりましたが、奇跡的に美しいお顔だけが残りました。
その後、目黒八雲に住む故村山有氏が東京後に譲り受け、毎年8月6日には供養会が営まれています。

 

社団法人東友会hpより https://t-hibaku.jp/toyu/rensai/201001_fact/0306_20100400fact.html

東京にある被爆の実相 (4)原爆で顔だけになった被爆地蔵

そのお地蔵さまは、東急東横線「都立大学」駅から近い常圓寺の境内に鎮座しています。元はこのお地蔵さま、原爆ドームにほど近い広島市細工町の西蓮寺にあり、子育て地蔵尊として地域の人びとに親しまれていました。「あの日」、原爆を受けたお地蔵さまの胴体は粉々に砕け、顔の部分だけが奇跡的に残りました。
当時の西蓮寺住職・香月崇海師は、顔だけになったお地蔵さまを“被爆の生き証人”として大切に保存していました。
その後、香月住職は、原爆孤児が社会問題化するなか青少年の健全育成の活動をしながらGHQの通訳をしていた村山有氏にお地蔵さまを預けました。引き受けた村山氏は、お顔を大谷石にはめ込み、いくつかの経緯ののち目黒の常圓寺に安置しました。
常圓寺では、住職の古河良晧師のお志により、目黒萌友会の方たちといっしょに、毎年8月6日に法要が営まれています。これらのお話は、古河良晧師と都立大学の小林喜平氏からうかがいました。

常圓寺:目黒区八雲1-2-10 電話03-3717-1021(東急東横線「都立大学」駅から徒歩約5分)

中国新聞広島メディアセンタHPより